メイドインアビスのミーティーと障碍者
メイドインアビスを見たんだが…
その中のこのミーティーについて感じたのだがこのキャラクターはいわゆる障害を持った人たち、特に知的障害を持った人々の特徴に近いものを感じた。
なぜそう思うかというと、このミーティーのキャラクター性もそうだが、もう一人のキャラクター、ナナチとの関係がより疑似性を感じさせるのである。
彼らはどこかのニュース番組で見た障碍者の子とその親の関係とそっくりなのである。
まず人は大前提として完璧で美しいものを好み、醜いものや不完全なものは拒むのである。醜いかは主観であるというかもしれないが間違いなくうんこが汚いと感じるのと同じようにして間違いなく事実として醜さを感じるものがあるのだ。
それが人間の生理なのである。
しかし、時としてそのメカニズムは壊れる。それは親子などの対象への無償の愛がある関係にのみにおいてである。それがニュース番組で見た親子、そしてミーティとナナチとの関係である。
これは自分の偏見かもしれないがそれは善意や我慢からくる愛ではなく、本能から生まれる本当の愛ではないだろうか?
話はそれたがそんな風なことを思った。
思うこと
定期的にここに短編漫画描きたいけどなあ。
一つはもう紙媒体で出来てるけど、あと一つは作りかけで完全に止まってる。
他にやりたいことができたしやるべきことも増えたからかモチベーションやエネルギーがわかない。でもこのまま止めるのももったいない気がする。
でもこんな状態がある意味人として健全な状態なのかもしれない。いつも初期衝動と負のエネルギーで作品を作ってた。そんなたいそれたものでもなかったが…。
インスピレーションはいつもだれかほかの素晴らしい映画などの作品を見ることで触発される。
それは未知であればあるほど。そしてワクワクするもの。
それが今は感じられない。
だけど今はいろいろあたりを見回したい。
自分を満たしてくれるものがあればいいのだと思う。今は満たされてる。「喪失」したときにまた作るのだろうか?
漫画を描き始めました
短編を一つ作りました。せっかくなんでみてくれるとうれしいです。